スミセイと人
阪神・淡路大震災から30年~あのとき・あれから~③神戸支社編
阪神・淡路大震災の記録について、先週は東京西支社長にお話しを伺いました。
(前回の記事はこちら)
最終回は、当時神戸で震災を経験され、現在も神戸の街を支える、神戸支社のみなさんにインタビューしました🎤
●富山秀子さん<神戸支社支社運営G>、浪花尚子さん<神戸支社西宮分館拠点事務SM>
(当時、神戸事業部 業務事務部 営業グループ/業務グループ)
Q:当時の支社の様子について教えてください。
富山さん:
震災直後は支社への立ち入りもできず、支部の入っている分館に出社していました。交通機関も完全に復旧していなかったので、とにかく分館に着くまでに時間がかかりましたね。そしてようやく支社に入れるようになった頃、柱には亀裂が入っていたり、天井が抜け落ちていたり、床が浸水していたりと、何もかもが散乱した状態でした…。当時はがむしゃらに、元通りに仕事できるための環境づくりを、支社メンバー一丸となって取り組みました。
浪花さん:
当時わたしは給与・査定などを担当していて、震災当日が給与明細の打ち出し日だった(当時は紙のみでその日しか印刷できなかった)ことを覚えています。結局本社で対応いただけて、さらにしばらくの間は営業職員さんの査定特認対応もあったので、そこは安心しました。
そして当時、わたしは支社のみなさんと一緒におにぎりをひたすら作っていました!(避難所用だったのか、お客さま用なのかは分かりませんが…。) また、本社からたくさん支援物資(カップヌードルなど)が送られてきていたことも覚えています。
Q:当時の経験を経て、今はどのような思いで業務に取り組まれていますか。
浪花さん・富山さん:
当時は「できることをとにかくやろう」という気持ちで目の前の仕事に向き合っていました。今は「少しでも営業職員さんの力に、そしてお客さまのお役にたてるように」という思いで、自分にできることは何でも、正確さ・迅速さを意識して取り組んでいます。
続いて、当時から現在まで、営業職員として神戸支社を支える大久保さんにお話しを伺いました。
●大久保律子さん
<神戸支社神戸みなみ支部(震災当時、神戸支社 新扇支部に所属)>
大久保さんは、震災時の記憶や今後の想いについて、今年1/17に行われた神戸支社の合同朝礼でお話しされました。
その時の映像がこちらです。
(1/17に実施された、神戸支社朝礼動画。↑音声をONにしてご覧ください。)
Q:動画拝見しました。震災直後、お客さまを訪問されたときに印象的だったことを教えてください。
A:震災直後は、交通機関が全部遮断されていたので、実際にお客さまに会えるようになったのは3月頃だったと思います。(車を出してもどこも大渋滞でした。)
わたしは運動靴で毎日活動しながらも、全く変わってしまった景色を見て、この先この仕事ができるのか不安を抱えていました。不安なのはお客さまも同じで、家に住めなくなった方、怪我をされた方、ご家族が亡くなられた方などがおられ、今後の生活に不安を持ってらっしゃいました。
そんな中、わたしが避難所を訪れたとき、お客さまと会うことができました。そこでお客さまに「ここまで来てくださってありがとうございます。」と言われ、お互い無事で良かったと涙ながら手を握り合ったことを強く覚えています。
Q:これからの活動への想いをお聞かせください。
A:震災からもう30年が経ちました。今の便利な生活が当たり前になっていますが、震災当時の大変な生活を思うと本当に毎日が、感謝でいっぱいです。いつどこで災難が起こるかわかりません。保険は、ご家族を亡くされた方のその後の生活の不安や悲しみを、少しでも和らげていただける大切なものです。これからも、生命保険や火災保険の大切さを伝えていきたいです。
神戸支社のみなさん、そして今回の阪神・淡路大震災のインタビューにご協力いただいたすべてのみなさん、ありがとうございました。
当時住友生命が決断した「災害関係特約の支払免責不適用(全額支払い)」をはじめとした対応の数々、そして今も強く職員のみなさまの心に強く息づいているお客さまからの「ありがとう」の声など、改めて生命保険の神髄にふれるインタビューとなりました。
あれから30年。あのときも、これからも、「お客さま、社会のために」の一心で、住友生命職員はそれぞれの場所で奮闘し続けます。
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